気まぐれ日記 2015年5月
2015年4月はここ
5月1日(金)「家計収支報告・・・の風さん」
家の外でやけに小鳥が鳴いている。晴天ですがすがしい陽気だ。ぜいたくなことだが、平和の真っただ中にいる。講演旅行の延長で、やや早く起床した。
そのまま絶好調で、アクティブにやれたら良いのだが、朝食後、花粉症の薬を飲んだ。相当に鼻の調子が悪い。
少し片付けをしてから、キャメロンで出かけ、JAとJPに寄ってきた。
昼食後は、花粉症の薬も効いてきて、書斎でダウンした。
それでも細々とした用事をすませながら、夕食になり、次女から結婚記念日のお祝いの「種から育てるバラの花セット」をもらった。育成はワイフでなく私の担当になった。早速、手順書通りに、水をふくまさたシートの上に種を並べてラップで包み、小さなタッパーに入れて、冷蔵庫のチルド室に入れた。4週間、冬眠を経験させるらしい。
新年度が始まって1ヶ月が経過したので、我が家の家計の収支をまとめ、ワイフに報告した。昨年の実績から今後のことは十分予想できるし、そのための作戦もさんざん議論してあるにもかかわらず、反射神経的な反応をされて脱力した。ワイフは私の母と似て、お金はあればあるだけ使ってしまう、そういうことに結婚32年目にして、ようやく気が付いた。あるいは、亡くなった母が乗り移っているのかもしれない。やれやれ。
5月2日(土)「雑務だけが進捗・・・の風さん」
朝から再び不調。とりあえず、あまり心身の負担にならないものを、選択的に片付ける。
片付け……なので、先ずは片付けから。長女の部屋に放置してある物の中から、紙袋を一つ運び出して、できるだけ捨てようとするのだが、半分以上が書斎に押し込まれる。後日、今度は書斎から選んで捨てるんだろうなあ。
郵便物などの処置や手配も一つずつ片付けていく。
こうして夕方までかかって、雑務らしきものはすべてやり終えた。難しいことに取り組んでいると、こういった細々したことが1日の最後に残って、結局やれないで終わるのだが、先にやってしまうのも意味がないことはない。
ワイフとコーヒータイムにした後、いよいよ難しいこと、つまり本業に着手。
久しぶりにビジネス本の設計図の続きだ。空欄になっている升目を一つ埋めようと取り掛かったのだが、そのための呼び水としてネットで検索をかけたら、示唆に富んだブログがヒットした。かなりの分量だ。専門的な内容で、私よりも知識が豊富である。しかも、オリジナルの意見も書いてある。私は私で、ある仮説を抱いていたのだが、どうも仮説が怪しくなってきた。でたらめを本の原稿にするわけにいかないので、もっと勉強する必要がある。
そうこうしている間に夜も深々と更けてきた。あとは、明日だな。
ということで、今日も冴えない1日だったが、先週から探していた印鑑を発見したのは嬉しかった。
5月3日(日)「仕事仕事仕事・・・の風さん」
会社員時代はGWの真っただ中だった。もっとも入社した当時は、夏と冬の長期連休はあったが、この時期のGWは世間並みで、時短が進むうちに長期連休は年に3回になった。今年は夏に朝型勤務を政府が推奨するので、それも今後広まるだろう。いずれにせよ効率の悪い私は年中無休でこれからも頑張るしかない。
今日は昨日の反省で、すべての取り組み課題に手をつけることにした。
夕方までに、ほぼ達成の目途が立ったので、ワイフに2ヶ月ぶりのウォーキングを誘った。
今日は少し蒸し暑かったので、夏と変わらぬ恰好で家を出た。
山の斜面をおりて真っ直ぐ海へ向かった。風もなく当然波もなく、海は穏やかだった。今年このあたりはツメタ貝の大発生でアサリがほぼ全滅したため、潮干狩りは中止している。観光は地元の貴重な資源だが、どうも行政の支援あるいはリードが弱い気がする。
目的のスーパーに着いて買い物をし(ついでに持参した郵便物を投函し)、暗くなる前に帰宅した。
本当に久しぶりに足を伸ばしたので、気持ちが良いような、疲れたような、変な気分だった。
夕食後も順調に仕事をこなしているうちに雨が降ってきた。
蒸し暑かったのは、雨が降る前兆だったのだ。
5月4日(月)「短編小説のストーリが完成・・・の風さん」
昨日は寝るまで突っ走った。つまりやりたいことを次々にこなしていった。その結果、達成感はあったが、疲労が残ったらしい。
朝から児童文学の企画書の書き直しに取り組んだが、途中で根気が続かなくなった。
昼食後、2時間、昼寝(書斎でダウン)した。
その後、元気を取り戻し、企画書の完全版を仕上げた。これは簡略版を作る準備である。
夕食後、今度は、短編小説のストーリ作りに挑んだ。挑んだという意味は、今夜で一段落させる覚悟からだった。何とか完成させることができ、参考資料と一緒に、ある人へメールで送った。頼んでいることがあるからだ。
次に送るときは、短編小説の原稿ができている月末になる。
昨日と違って、手をつけていないことがいくつかあるが、これが今の精一杯のペースらしい。無理すると、翌日に影響が出るということだ。昼間、ときどき降っていた雨が上がったら、風が出てきた。締め切っていても音を立てて吹き荒れている。
5月5日(火)「再び急げ急げ急げ・・・の風さん」
昨日の反省で、ゆっくり起床した。これなら1日体力がもつだろう(笑)。
外の強風はおさまっていたが、どうせ外出はしないのだから、関係ないか。
ブランチ後、児童文学の企画書の改訂版に取り組んだ。企画書のつもりがいつのまにか小説を書き始めてしまい、それでは企画書にならないと指摘され、改訂版を再提出することになったのだ。昨日までで完全版ができていたので、いちおう安心して骨格だけにスリム化していった。ほぼできた。
続いて、ビジネス書の設計図の穴埋めだ。残っているところは、当然やっかいなところばかり。真面目に埋めているとゴールにたどりつけないので、拙速でもいいから、どんどんこなしていくことにした。これを私は東大方式と呼んでいる。学生時代に性格的にできなかった勉強(仕事)のやり方である。細部はもちろん大切だが、大局的に見ると新たな問題点も明確になってくる。
夕食後は、明後日の非常勤講義の準備をした。明日も続きをやるが、来週の分も意識して準備する。
今日は、合間に読書もすることができた。
5月6日(水)「夕凪の海を眺めながら・・・の風さん」
睡眠時間を8時間もとって起床。会社員時代からは考えられない、王様のようなライフスタイル。
毎日少しずつやっているルーチンワークの片付けをしてから、児童文学の企画書の改訂版を仕上げて送付した。今月の企画会議にかけてもらい、何とか前進するとよいのだが。
今日もビジネス書の設計図の穴埋め作業をした。もっと深く知りたくもなるし、迷いも色々と生じるが、立ち止まっていると先へ進まないので、今日も強引に「強引ぐマイウェイ」、あ、シャレです。
ワイフの時間がとれたので、夕方から買い物がてらウォーキングに出た。3日前は7千歩コースだが、今日は9千歩コースだ。しかし、万歩計をつけてくるのを忘れた。
今日の海も穏やかで、仕事が順調だったら、どんなに気持ち良いことか、と思ってしまう。
夕食後は、明日の非常勤の準備をした。来週の分もやりたかったのだが、時間がなくなってしまった。
5月7日(木)「暑さの中の講義・・・の風さん」
朝からバタバタと準備し、キャメロンと電車を乗り継いで非常勤講義に出かけた。
今日は少し根性を出して、持参の本を往復の車中で少し読んだ。後は睡眠をとっていたが。
講義前に、配布資料をコピーした。5枚あって、登録してある18名分をソーティングをかけてコピーし、ホチキスでとめた。今年の受講生は意欲的なので、ついこちらもサービスしたくなる。
ところが、講義室に入ったら、エアコンが不調。なぜか冷房が入らない。今日の名古屋の最高気温は、予想では25℃だったが、室内は30℃近かったと思う。ドアを開放して講義をした。講師の私は老齢で熱さ寒さに対しては頭脳は鈍感で肉体は敏感状態だが(だから熱中症になるのだ)、受講生たちは頭脳も肉体も暑そうだった。
帰宅したらワイフが買い物に出かけていて、私はぐったりとリビングのソファに横になった。
夕食後、残った雑務を処理したが、重たい仕事はできなかった。
5月8日(金)「前半の多忙だけで終わらなかった1日・・・の風さん」
最近睡眠時間がたっぷりなせいだろうか。予定より早く目が覚めて、起きてしまった(笑)。
朝食が終わったころ、義母と義妹がやって来た。ワイフを含めて3人でランチするためだ。家に入るのと入れ違いにキャメロンで出かけ、JAとJPで予定の用事を済ませ帰宅した。JAで母の日だからと言うので、カーネーションをもらったので義母にプレゼントしたところ、ありがとう、と言われ、続けて、仏壇の亡き母へ供えるように言われた。すぐにワイフが花瓶に挿したが、ちび助の餌食になるのは目に見えているので、まもなくワイフのログキャビンに移動になった。結局、3人の母へのプレゼントに使われたわけで、こんな都合の良い話はめったにないだろう。
3人が出かけてしばらくして、地元の保険代理店から予定通り店長が来宅した。火災保険と地震保険の見直しのために来てくれたのだが、さすがにベテランの営業マンらしく、話はスムーズに進み、私もとても勉強になった。
店長が帰った後、3人が戻り、しばらく認知症について情報交換した。今では経験者の一人となってしまった私は、3人にあれこれと語ったわけだが、これはなかなか難しい問題である。
3時過ぎに義母と義妹が帰ったが、ここまででかなりの仕事をしたような気分になり、どっと疲労が襲ってきた。
しかし、それで1日を終えるわけにはいかない。
その後は、やらねばならないことを、ひたすらやり続け、就寝は午前3時を回っていた。
5月9日(土)「脈拍ペースが低下・・・の風さん」
さすがに早起きはできなかった。
外を見ると曇り。気温も低そうだ。
今日は土曜日でかつての勤務先の同僚たちも休みだと思うと、少し安心する。
2階の片付けから仕事開始。このところずっとこのパターン。気持ちが落ち着く良い方法だ。
しかし今日は、左の肩甲骨のあたりが痛い。寝違えたのだろうか。ぜいたくなトラブルだ。
昼をだいぶ過ぎた時刻になっても、精神は安定しているが、本来の仕事のスタートが切れない。そういうときでも、やることがたくさんあると良い。とりあえずそれらをこなし続けているうちにエンジンがかかる。
小雨が降ってきた。
夕方近くなって、やっと重要課題にとりかかった。ビジネス書の設計図の最終段階である。まだ穴埋め問題がいくつか残っている。昨日は組込みソフトウェアの開発手法(モデルベース開発)がテーマで、けっこう勉強になった。今日は以前にも勉強したことがあるトヨタ自動車の開発手法を一般化した手法(セットベース開発)で、これもソフトウェアの開発に応用されている。
遅い夕食後、短編小説に取り組んだ。
深夜、就寝前に血圧測定をした。血圧の数値に異常はなかったが、脈拍数が驚きだった。いつも高めの数値が出ているのに、手首式と上腕式でそれぞれ53、54と出た。突然一流マラソンランナーの心臓になったはずはないから、止まりかけているのかもしれない。
雨はとっくに止んだが、風が出てきた。
就寝は今夜も午前3時過ぎ。左の肩甲骨のあたりの痛みは、ロキソニンを飲んでも治らない。
5月10日(日)「組長会議・・・の風さん」
今日もゆっくり起床。左の肩甲骨の痛みが残っている。実は、今頃になってまだ花粉症が出ている。しかも目に集中攻撃だ。1年中目薬をさしているので、効きが悪くなっているのかもしれない。昨日からコンタクトをやめてメガネにしている。
いつものようにやれることから手をつけて、夕方になった。午後7時から組長会議があるので、夕食は摂らずに出かけた。
ここに住んで早26年になる。組長は2回目、役員は既に2回経験している。町内会は自治会から今年区会に名称変更し、他の地域と同格になったが、消滅の恐れが高い自治体なので、今さら、という感じはある。
組長会議は午後9時過ぎまでかかった。すべてをまじめに大げさにやり過ぎである。これからは身の丈に合った活動にするべきなので、手を抜けるところは抜かなければならない。
冷え込む夜道を歩きながら、まだ寝るまで時間がある。頑張ろう、と思った。何を? もちろん自分の仕事だ。
5月11日(月)「何やってんだか・・・の風さん」
朝食後、我が家のメインバンク……じゃなかった、取引銀行の一つへ出かけた。振り込みの用事があった。
以前も月曜日に行ったことがあるが、天気がよくても混んでいる。それでも、準備をしっかりしていったので、順調に手続きを終えて家路についた。
これまでは外出時にはまとめて用事を済ませるのだが、特に買い物を、今は極力外出しないし、まして買い物には行かない。私の口座は破たんへの道をまっしぐらに突っ走っている。この分だと、夏前に凍結する必要があるな。
午後、あるクレジットカードの退会手続きを電話でした。ほとんど使用していないカードで、9月に年会費(夫婦二人分)が落ちるので、ボケないうちに無効にしたのである。年会費のかかるクレジットカードはやめた方がいいな。まだ何枚かあるけど。
ホッとして、執筆マシンのあるソフトにうっかり手を入れたら、大トラブル発生。久しぶりに元に戻らない問題が発生した。
結局、夕食前まで時間を消耗し、完全には復活せず。
夕食後、大慌てで、仕事を始めた。
5月12日(火)「キャメロンの車検・・・の風さん」
台風6号の影響で朝から風雨が強い。4年前の東日本大震災が象徴的だが(直近ではネパールの大地震)、地球規模で自然災害が連発している。文明の暴走に地球が怒っている気がする(迷信でなく科学的に)。
今月がキャメロンの車検月だが忙しいし、刈谷方面へ行く用事もないので、カリチューの社長に代車で取りに来てもらった。
辻真先先生の本の感想を聞き、また先生の本を提供した。
忙しいと言えば、来月は恒例の長谷川伸の会があるが、とても顔を出している余裕はない。
問題は、その頃開催されている設計製造ソリューション展である。これは現在執筆中のビジネス本のために、絶対に取材に行かねばならないので、どのようなスケジュールで行くか決めねばならない。要するに最も効率の良い行き方である。今まで、急流の中を押し流されながら仕事をしてきたような私だが、これからはそういうわけにはいかないのだ。
昨日に続いて、今日もあれもこれもと仕事に取り組んだが、短編小説だけ手がつけられなかった。
夕方には台風は温帯低気圧に変わり、いくらか外は静かになったが、就寝は午前2時だった。
5月13日(水)「まだ余震・・・の風さん」
今朝の6時過ぎに東北地方で地震があった。震源地の近さから、4年も経過しているのに、東日本大震災の余震だという。
箱根周辺も不穏な動きをしているし、これからも、いつ何が起きるか分からない。
普通に起床したが、既に次女は出かけていた。大阪で開催される企業説明会に参加するのだという。就活である。3人目なので、何とか普通に就職できればと願っているが、身内のことは他人と違って客観的に且つ冷静に対処できないので、仕事のように対処できない。不思議なものだ。自分のときもそうだったのだろうか。もう両親に聞くこともできない。
気分転換に朝からぶらぶら歩いて、団地内のポストに郵便物を2通投函してきた。感慨に浸る余裕もなかった。
夕食時、ワイフが借りているDVDの宝塚「ベルサイユのばら」第一幕を鑑賞した。脚本も演出もたいしたことないが、やはりトップスターのカッコ良さがすべてだな。
5月14日(木)「また乗り過ごし・・・の風さん」
非常勤講義のある日なので、朝からバタバタと動き回った。やれるだけのことやっておかないと、帰宅してからでは残り時間が少ない。
代車で途中まで行き、あとは電車と地下鉄だが、カードの残高が乏しくなってきた。来週はチャージが必要だ。
講義前に銀行のATMで入金と通帳記入をした。
今日は動画やパッケージソフトのパンフレットも見せて、準備万端整えての講義だったが、どうもイマイチ冴えない。学生たちに迷惑をかけている気がする。
今日も往復の車内で参考書を1章読んだ。安心して居眠りしてしまい、乗り換えの駅を通り過ぎてしまった。二駅オーバーランして戻った。しかし、15分程度のロスで済んだ。
帰りにプリンターのインクカートリッジを購入したが、なくなりかけている1個だけにした。どうもみみっちい。
思文閣出版から出版案内誌が届き、開いてみたら『角倉一族とその時代』5月刊行、と出ていた。さらに、探していた参考文献も同時期に出版されることが分かり、担当編集者に優先的に購入できないかメールでお願いした。
夜遅く次女が大阪から帰宅したが、体調を崩したそうで、そのまま部屋でダウンしてしまった。
5月15日(金)「蒸し暑い日・・・の風さん」
朝から蒸し暑く、身体もだるい。それでも、頑張らねばならない。なぜなら、今日はビジネス書の全体の設計図を完成させる予定の日だったからだ。しかし、残っている分量を見ると、とても1日で挽回できる量じゃないし、週末のすべてをそれにあてて完成させても、あまり良い策とは思えなかった。
そこで、出版社に進捗を正直に伝えることと、同時に、明日から着手予定だった本原稿のサンプルを作って、それに対する意見をもらうことにした。
仕事がはかどるように、書斎に扇風機を持ち込んだ。
昼食後にその準備がすべて整ったので、メールに添付して送付した。
それでもう疲れてしまい、夕方また書斎でダウンしてしまった。
夕食時、次女に就活の話を聞いたが、本人は色々と考えて、方針を固めているようだった。
次女と私たちの年齢関係は、私と亡くなった両親との年齢関係とよく似ている。大学院に進学したとき父親が定年退職した点はそっくりだ。
私も就職のときはすべて自分で考えて行動し、希望通り日本電装に採用され、いよいよ仙台の自宅から愛知県へ出発する前夜、初めて小説家になる夢を語った。
親がとやかく言う問題ではないのかもしれないが、3人目なので、どうしても気になる。
出版社からはとても好意的な返信があった。これはつまり、どんどん執筆を進めてください、ということになる。
5月16日(土)「働かざる者・・・の風さん」
3年前まで、週末は必ず忙しかった。ウィークエンドMBAのため、2年間、勉強と授業に追われていた。
その前の3年間の学生生活も、ほとんど週末が亡くなられた大野先生とのマンツーマンゼミで、あとは学会参加だったから、それなりに忙しかったが、最後の学生生活のMBAは、集中というか密度がすさまじかった。ビジネスの訓練を兼ねていたので、当然といえば当然だが、文字通り老骨に鞭打つ日々だった。
そのMBAの卒業研究が自社経験を元にしたケース作成だった。それが、この週末、初めて授業で使用される。たまに作成者本人が呼ばれて、ケースの背景などを語り、学生とのディスカッションに応じることもある。今回は、それはない。あまりにも事実に近いケースになっているので、私が登場しても、淡々と語るしかないのかもしれない。
いつものように1日が始まり、あれこれと少しずつ雑務をこなしながら、トップスピードが出るのを期待していた。
昼に、車検の終わったキャメロンを、カリチューの社長が運転して届けに来てくれた。大きな修理も部品交換もなかったが、貧乏人には痛い請求額になっていた。オールインワンで依頼したので、こういうことになる。
午後、宅配が届いた。先日、久しぶりに若桜木虔さんとメールのやりとりがあり、共感することがあったので、激励のために本を送ってくださったのだ。恐縮である。
本はもちろん若桜木さんの著書で、ご自身が経営されている青松書院出版の大型書籍である。『御庭番通史』『十六夜忍者 宮本武蔵』そして『忍術忠臣蔵』の3冊。すべて忍術もの。もしかすると翻訳して海外で出版すれば当たるかもしれない。クールジャパンの一環で。
調子が出てきたのは、夕食後だった。特に栄養価の高い食事をとったからではない。むしろ控えめに終えたし、そもそも今日は昼食を抜いた。家に閉じこもっていて、ろくに体を動かしていないのだから、頭脳を働かせる栄養は必須でも、肉体を動かすエネルギーの補給はそれほどいらない。というか、アウトプットから判断すれば、働かざる者食うべからずの対象者相当である。
明日はもっと頑張らねば。
5月17日(日)「屋外活動に向いた日・・・の風さん」
今年は10周年が多い。セントレアの開港が10周年で、それはそのまま父の没後10年に重なる。その年、地元の観光施設「味と健康の館」が開館した。やや経営不振で行政から民間に渡っているが、今日、イベントがあった。快晴の空の下、賑わっていたそうで、トールの体験教室も半ばボランティアで参加したという。
私は今日こそ、やるべき全アイテムを実施しようと、朝から張り切っていた。
午後、ワイフが帰宅して、ボランティア教室の成果を聞きながら、組長としての任務「区会費の徴収」開始日にあたることを確認した。早速、区会費と赤十字の寄付金の領収書を全部書き込んでから、自宅を出た。
まわる家は10軒以上ある。あいにく留守だったのは3軒だけで、初日としてはまずまずの結果だった。月末までに終えればいい。
今日は没後10年の父の月命日なので、ワイフは供花を準備してあり、墓参に出かけた。
ここひと月で墓域はかなり汚れていた。鳥や虫の活動も活発化してきているので、これからしばらくこういった状況が続くだろう。
それにしても、今日は、屋外で活動するには絶好の天気だった。
帰宅してホットタイムにしたが、この時点で、全アイテム実施はほとんど困難になった。
5月18日(月)「今日も全アイテム実施できず・・・の風さん」
今日は西日本から徐々に雨になる予報だったが、朝から特に蒸し暑いということもなかった。
外出予定もなく、昨日できなかった「やるべき全アイテム実施」に挑戦するには、絶好の機会と思われた。先行しなければならない執筆があるからだ。
普通に起床し、着々と雑務を片付けていった。
すべての雑務を終えたのは、遅い昼食の後だったが、その時点で早くもパワー切れとなってしまった。
まだ雨も降ってこず、蒸し暑くもないのに、むしろ肌寒いくらいで、書斎で大の字になったら、そのままダウン。
午後5時の地域放送も知らず、目覚めたらもうたそがれ時になっていた。
夕食後に何とか元気が出てきたので、そこから頑張ったが、就寝前に今週の非常勤講義の準備を始めたところで時間切れとなった。
相変わらず肌寒いくらいで、外では小雨が降り出していた。
5月19日(火)「久しぶりの現役モード・・・の風さん」
昨夜来の雨が上がらず、ワイフを駅まで送っていくため、7時に起床。これは現役時代のウィークデー・モードだな。
行けるところまで行こう、といつもの順序で雑務を処理していった。その間に、空が晴れてきた。
午前中に早くも昨夜の続きである非常勤講義の準備に入った。なかなか良いペース。
午後は短編小説の続きもやった。
あとはビジネス本の原稿だ。……と、そのときパワー切れのサインが出てきた。
約2時間のダウン。
ワイフの帰宅メールが来ないので、ビジネス本の参考書を読み始めた。何事もスタートアップが大事。
ビジネス本の原稿に着手する前にワイフを迎えに行き、その後、HT(ホットタイム)。そのまま、我が家のリノベーション計画について意見を交わし、そして、夕食となった。
ビジネス本の原稿は2セクションが目標なので、1セクションでは未達となる。
最後に読書もちゃんとしてベッドにもぐり込んだが、ビジネス本の原稿を1セクション分だけ未達という結果だった。
やはり、早起きはいいな。問題は体力だ。
5月20日(水)「好調は2日続かない・・・の風さん」
同じ調子は続かない。浅い睡眠のまま起床。中身はスカスカでも頭が重い。
今日からパシフィコ横浜で人とくるまのテクノロジーが始まる。こういうのに気楽に行けるのが理想だが、とても無理。お金も時間もない。そうだ。今夜は日本推理作家協会のパーティーもあるんだ。もう何年も出席していない。
朝食後JAへ行き、生活費をおろしてきた。
黙々と雑務を処理していったが、昨日より早く限界のサイン。
約3時間の仮眠となった。
夕方になって階下へ降り、HTになったが、そのまま保険の見直しの相談をワイフをした。だんだん大詰めだが、また一つ検討アイテムが事実上困難なことが判明した。
次の期待は、まとめて支払う町県民税だ。いくら何でも昨年よりは下がると思っている。
夕食後、ビジネス本の原稿に取りかかった。今日も1セクションしかできなかった。
午前零時になって、明日の講義で返却するためのレポートの採点を始めた。17人分もあるので大変だった。
それが終わって、入浴後、少し読書してベッドにもぐり込んだが、午前4時近かった。
5月21日(木)「高密度の講義・・・の風さん」
忙しい木曜日だ……が、寝坊した(笑)。
それでもいつもと同じペースで雑務をこなし、講義に出かける寸前になって、昨夜採点したレポートをすべてスキャナーで読み込んでおいた。今日返却するが、田村先生へ転送する可能性もあるので、残しておいたのだ。
寝坊したお蔭で元気が復活している。講義がなければ、かなり仕事ができそうである。
毎週のように途中駅近くにキャメロンを置いた。こうやって若干の節約をしても、マナカカードは激しく減っている。今日も1万円チャージしておいた。これで1ヶ月はもたない。
本山キャンパス近くのATMで、お金の振り込みなどをしたが、いよいよ活動資金が乏しくなってきた。
今日も高密度の講義をやり、最後にレポート作成について入念に説明してから、レポートを返却した。
帰りに久しぶりに御座候を買って帰った……ら、例によってワイフは外出中(笑)。
夕食後、ビジネス本の原稿に取り組んだ。何としても1セクションこなさなければ、と執念で頑張って、就寝は午前3時半。
5月22日(金)「起きているか寝ているか・・・の風さん」
刺繍教室に通っているワイフを送るため早起きした。睡眠時間はわずか。何とか駅まで送ることができた。
午前中に保険会社が来ることになっていたので、対応。検討中の保険の中の一つが決着した。あと数件残っている。年金生活者は安定的な生活リズムを得るまで時間がかかる。やれやれ。
その後、普通に雑務をこなして……午後、とうとうダウン。約2時間半の昼寝。今日は寒かった。
夕方からようやく再起動(まるでPCだな)。
東京の某テレビ局から関孝和に関する相談を受けていたのだが、ついに出演することになった。生放送ではなく収録番組としてである。メインゲストとして毎回作家を招いているようで(名誉なことだ)、何らかのメッセージを伝えたい。
今夜も重要な仕事だけが残ってしまった(笑)。
しゃにむに取り組んで午前2時就寝。もっと早く閉店にしなければ。……疲れた。
5月23日(土)「頑張れ秋田高校・・・の風さん」
いやー寝た寝た。11時起床(^_^)。これじゃ、1日のノルマ達成は無理だな、きっと。
郵便受けを覗くと『秋田高校同窓会だより』が届いていた。1年に1回来るだけだが、それで十分だ。
初々しい新入生の登校風景が表紙を飾っていた。
中を開くと、今年の大学合格状況が目に飛び込んできた。東大が12人で、東北地方では2番目に多いという。1番は恐らく仙台一高だろう。医学部合格も31人だというからすごい。今年の卒業生は273人だったそうで、割合から考えれば(既卒者もいるけれど)、1割が難関に合格していることになる。ちなみに母校の東北大は34人。近いからな。
少子高齢化で人口減少が日本で最も激しい秋田県である。私のころは1学年10クラスで500人近い数だった。後輩たちの奮闘に敬意を表したい。
夕方、組長として区会費の集金にまわった。ご近所から豆(グリンピース)をいただいた。立派な自家菜園で育てている方が多く、貰い物をときどきするが、今日の豆も極上の出来である。ありがたい。集金はあと残り1軒となった。
睡眠時間が十分だったせいか、途中でダウンすることもなく、全ノルマ達成はできなかったものの、ビジネス本の原稿は初めて2セクション書き上げた。就寝は午前2時半。遅いな。
5月24日(日)「未練のリンガフォン・・・の風さん」
昨日と違って普通に起床(早くも遅くもない)。実に穏やかな日和だ。余裕があれば、南の方の海でも眺めに行きたいところだ。
いつものように雑務だけは無心でこなしていく。しかし、雑務と言っても、必須のことばかりではない。
今から40年近い昔、大学時代にリンガフォン(米語中級コース)を真面目にやった。当時の教材がそのまま残っているのだが、墓場まで持って行くわけではないので、身辺整理の一環で処分することに決めた。しかし、未練な私は、1回だけ読んで聴いてからにしようと思っている。少しずつやっていて、今日で10%進捗した。ペースは遅いので、秋近くまでかかるかもしれない。
昨日初めて2セクション仕上げたビジネス本、今日も挑戦したが、あと少しで断念した。理由は、非常勤講義の準備が今週はけっこう大変なことに気が付いたからだ。これから毎日やらねばならない。
5月25日(月)「恐怖のシーズン到来・・・の風さん」
朝早く郵便局に行く可能性があったので寝不足だったが、普通に起きた。しかし、その必要はなかった。
それなら今日はたっぷり時間もあるので執筆を頑張るぞ、と1日が始まった。
いつものように着々と雑務をこなしていった。たいてい朝は調子が出ないので、頭をほとんど使わないことをしながら、エンジンがかかるのを待つのだ。逆をやると大変なことになる。重要だが難しいことから始めていると(会社で教えてもらったことはこれだ。優先順位をつけて仕事をするというもの。これは他の条件に問題がないという前提だ)私の場合、結果は悲惨なことになる。だらだらと時間ばかりかかってちっとも進まない。
屋外はとても気持ちの良い気候だ。でも、2階の書斎はそろそろ暑くなってきた。温度計を見ると、午後は28℃もある。扇風機でごまかしている。
相変わらず花粉症の後遺症で目の調子がおかしい。右目が結膜炎みたいだ。点眼薬が効かないのは、1年中使っているせいか。
運動不足で下半身が変だ。だるい。エコノミークラス症候群に似ている。
……と、要は言い訳。なかなか調子が出ないまま、あっという間に夕方だ。
ワイフが帰宅し、夕食後、そのワイフから爆弾発言。
キッチンのガス台付近で大きなゴキが出たという。駆除してくれたのはありがたかったが、私がインスタントラーメンを作る神聖な場所で出るとはにっくきゴキめ。
今年も早くも恐怖のシーズンが始まった。
5月26日(火)「泣けるサラリーマン川柳・・・の風さん」
実は、昨日はずいぶん頑張ったのだ。そのせいで、今朝はまともに起きれなかった。
起床は午後1時過ぎ。
さすがにワイフが途中で様子を見に来た。死んでいないかの確認だ。現役時代には何度もあったことだ。2足のわらじ、と世間では言うけれど、私にはその意識はない。どちらも中途半端なので右足と左足のはいているわらじは違っている。一方、かけている時間は普通の人の2倍。だって、私の能力は普通だからだ。これまでよく死ななかったものだ。
一日の3分の1が既に失われていたので、今日はペースを変更した。雑用も少しずつ。
あ、そうだ。新聞に出ていた「サラリーマン川柳」が泣けたな。3つ記録しておこう。
湧きました 妻よりやさしい 風呂の声
記念日に「今日は何の日?」「燃えるゴミ!!」
オレオレと アレアレ増える 高齢化
川柳でパワーを得たせいか、夕方から短編小説の執筆が徐々に勢いが出てきた。
就寝前にほぼ完成した。狙い通りロマンチックな作品に仕上がった。ヤッホー。
5月27日(水)「訃報に絶句・・・の風さん」
今日は普通に起床(何が普通だか分からなくなってきたが)。
昨日は睡眠十分で短編小説を一気に書き上げることができた。
今日は……、ここのところずっと頚椎症も悪いので、ロキソニン(ジェネリック)を服用した。
明日の非常勤の準備がちょっと大変なので、それに集中することにした。すると、薬の効果で痛みが軽減され、体が動く。そのお蔭で集中力を途切れさせることなく、着々と準備が進んだ。
それでも、終了したのは午後9時なので、いかに大変だったか、だ。でも、薬の効果は絶大だ。
世間では非常勤講師はかなりハードな仕事とされている。講義時間は一瞬だが、その前後に長時間にわたる作業がある。勉強になる部分はいいが、単純作業をしている方も多く、それは気の毒である。私の場合、勉強の割合が高い。
その後、根性でビジネス本の原稿を1セクション完成させた。遅れが増えた。
夜、友人からメールがあり、SKJの真咲なおこさんが亡くなられたという。まだ若いのに、……驚きだ。お別れの会があり、すべて彼女がデザインしたらしい。今風で潔いが悲しいことに変わりはない。まだこれからという時に。……合掌。
5月28日(木)「講義は無事に終わったけれど・・・の風さん」
初夏のような気候になってきた。書斎は暑いがまだ扇風機。今日は講義なのでキャメロンで出発。今日からネクタイは外した。いつものように窓を全開にして、これでいけるか多少の不安を抱えつつ走ってみる。走っている間は風が入るし、まだ車室内が焼けるようではないから、大丈夫そうだった。
昨夜準備はバッチリできていたので、安心してスタート。予定通り、途中で学生に質問をぶつけながら講義を続けた。社会に出た時のことを話しながらの講義なので、私の質問はやや難しい。「どう思う?」「なぜ?」そんな感じだ。彼らの習慣はまだ「知りたい。教えてくれ」なので、こういうのは面食らうのだろう。
今日は往復の電車内で文庫本を読んだ。時代小説である。
帰りはだいぶ気温が下がっていて、ドライブも快調だった。
帰宅したら、アクアの任意保険の継続書類が届いていて、内容を見ると、前年度と同様という条件が、なんと1万円も上がっている。あらゆるリスクが増えているのは分かるが、なぜクルマの任意保険まで?
今日の講義はそれほど疲労する仕事ではなかったが、夕食後疲れが出て、ややバテ気味。
日課にしているビジネス本の原稿が、初めて1セクションも完成しなかった。
5月29日(金)「完全老人モードか・・・の風さん」
朝、喉が痛くて目が覚めた。毎日どこか具合が悪くて、こりゃ完全に老人モードだな。やばい。
飴をなめようと階下へ降りた瞬間、もう飴のことを忘れている。
今日も昨日の夕方からの気候を引きずっていて、比較的涼しい。やや早起きしてしまったのは気になるが、行けるところまで行け、とばかりに普段通りに雑務処理からスタート。
昼食後ダウン(笑)。2時間ほどリビングのソファで昼寝して、ゾンビのごとくよみがえった。
その後は順調に仕事をこなしていった。
よれよれの状態だが、就寝寸前まで頑張ることで何とか帳尻を合わせる。そんな毎日である。
挽回とまではいかないが、ビジネス本の原稿を2セクション仕上げて就寝。午前2時を回っていた。
5月30日(土)「バラの種を植えたよ・・・の風さん」
午前6時起床。7時から町内会の除草作業があった。
住居地にはボランティアで除草や交通安全立哨などをされている方がたくさんいて、非常に頭が下がるが、指定された除草作業地域も、明らかに人手が入っていて、我々は助かっている。
そういった手入れが行き届いている場所は素通りして、私は指定域のはずれに向かったところ、既に日頃からボランティアをされている方が草刈機を使って仕事を始めていた。私は機械で刈り残したところを鎌で刈ることが中心になった。
早朝なので助かったが、空は真っ青で、今日は真夏のような暑さになりそうだった。
1時間半ほどの作業を終え、シャワーを浴びた後、1軒だけ残っていた家へ行き区会費も徴収できた。
やっと朝食を摂り、いつもの雑務を淡々とこなし、11時から仮眠をとった。
早くも筋肉痛が出て、気持ち良いような、変な感じだった。
昼食後、ようやく仕事に取りかかったが、とうとう書斎のクーラーのスイッチを入れた。もう26年ぐらい使っているので、大事な使わないと壊れる。エアコンでなくクーラーにしたのは、小型だからだ。もう手に入らないだろう。
夕食後、次女にもらったバラの種を冷蔵庫から1ヶ月ぶりに出してポットに植えた。芽が出るまで3ヶ月くらいかかることもあるという。気の長い話だが、私には向いている。育成担当は私だ。
夕方からビジネス本の原稿に着手したが、とうとう1セクションもできずに終わった。設計図がまずかったせいもあるが、疲労もあったと思う。
5月31日(日)「どんどん夏モード・・・の風さん」
9時起床。清々しい青空の下、10時過ぎに徒歩で集会所へ。途中で封書を投函。団地内のポストの収集はもう今日はなく、明日の午前9時半らしい。なーんだ。徴収した区会費を提出した。
帰宅して半ズボンにはきかえた。早くも夏態勢。
それにしても、口永良部島で噴火したかと思ったら、次は小笠原諸島沖地下600キロでM8をこえる地震の発生だ。東日本大震災以来地球の怒りを感じる。
いつものように身辺整理から雑務をこなし、今日締め切りの『数学文化』向け短編小説の最後の仕上げをして、参考資料と一緒に関係者へ送付した。数学の好きな人が読む『数学文化』なので、そういった読者をいくらか意識して書いた。原稿用紙24枚で、約2ヶ月かかった。今回も東日本大震災被災者と地域への追悼の気持ちがこめられている。
昼食後、また昼寝(2時間)。これで3日連続。
夕方から遅れているビジネス本の原稿に取り組んだ。
午前2時までかかって2セクション。これでは遅れは挽回できない。
しかし、昼寝して就寝が午前2時半では……何かおかしいな。
2015年6月はここ
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